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長山島ドゥルノレが野を彩る長山面

新安郡長山面

長山島ドゥルノレが野を彩る長山面

長山島ドゥルノレは軽快ながらも孤独な島の村の哀愁的な「恨」が漂っており、内面の感情が色濃く出ている新安の代表的な農謡として、1981年11月11日第12回南道文化祭に出演して最高賞を受賞し、1982年10月26日には第23回全国民俗芸術競演大会に出演して国務総理賞を受賞しました。

五音山からペミ山を経て大城山まで山並みがつながっており、鳩山、浮鶴山、ドンキョの裏山を経てファルモクまで、途切れることなく長くつながっているため、長山と呼ばれています。高い山はなく、山や丘陵地を開墾して畑を耕し、干潟地を埋め立てて田と塩田を造成し、米と麦中心の農業をしています。海洋性気候の影響を受けて雨量が豊富で植物がよく育つため、各種農産物が生産されています。

漁業は発達していませんが、沿岸では浅海の干潟を利用して海苔養殖業が盛んです。長山島は新安郡の島々の中で最も南端に位置し、遠海に出る要所でもあります。

島の歴史的•文化的な性格は、過去にさかのぼるほど、その意味が大きくなります。朝鮮時代よりも高麗時代や統一新羅時代、さらには馬韓、三国時代における存在価値がはるかに大きかったといえますが、これはこの地域を中心に海上貿易ルートが大きく発達していたからです。韓半島と中国大陸を結ぶ最も伝統的な航路は老鐵山水路でした。この水路は山東半島の煙台から、 約200の島々のある渤海湾を渡って遼東半島の先端、旅順、大連そして鴨緑江河口を経て韓半島の西海岸の陸地に沿って西南海岸の多島海の島々の間まで運行する航路です。
海岸に沿って進むこの航路は比較的穏やかで、古くから小型船舶でも安心して航行できる航路でした。西南海の島地方は、朝鮮半島や中国、そして日本を結ぶ海上交易の中心で、本土よりも重要な位置を占めていたのです。宮城で起きたことも、他の本土の地方では数ヶ月かかっても知り得ないことを、この地域の島地方では一週間で知ることができたので、物産だけでなく、情報の交換地でもありました。

かつて長山県が置かれた長山島は、西南海の島地方の行政の中心地でもあったため、様々な歴史的遺跡も見られます。道昌里ウシルジャンなどにある労巨樹林(101本)は、長山の長い歴史を証言しており、また、長山で忘れてはならないのが、地方無形文化財第21号に指定された「長山島ドゥルノレ」です。田植えの季節に豊作を祈願して歌う「長山島ドゥルノレ」は、この地方でのみ歌われる独特な拍子で、各章ごとにさまざまな拍子の変化があり、途中でテンポが速くなる構成の情味のある歌です。

長山島ドゥルノレは軽快ながらも孤独な島の村の哀愁的な「恨」が漂っており、内面の感情が色濃く押さえられている新安の代表的な農謡で、1981年11月11日第12回南道文化祭に出演して最高賞を受賞し、1982年10月26日には第23回全国民俗芸術競演大会に出演して国務総理賞を受賞しました。現在もカン・ブジャさんをはじめとする技能保有者と伝承者たちによって伝えられており、毎年、学校の休みの時期になると、全国各地の大学生が「長山島ドゥルノレ」を学びに来るため、公需里には長山島ドゥルノレ伝授館1棟と歌碑1基があります。

長山島の野では、この他にもハジュンパッメギノレ、シッギムグッ、キルサムノレが歌われています。また、道昌里の石室古墳、大里コインドル、長山土城跡、大城山城跡、張柄俊の墓、長山牧場跡などの文化遺跡もあります。